私は、半生を築窯と発掘と飯に追われて過ごしてきた。思えば、作家生活に入れるかなと思った矢先に満州事変が勃発し、出征二年にして傷痍軍人、内環除隊、鎌倉居住十年、二回の応召におびえながらも、ようやく細々と食えるようになったところで、強制疎開。その当時の多くの人たちと同様に、席のあたたまる暇のないままの明け暮れであった。
我も人も解らん絵では飯が食えないので、リンゴが乗るとか、お茶がこぼれぬとかの用途を持った陶器づくりのために、鎌倉五山の一つ寿福寺境内に築窯し、芸能塾を開いたのであった。当時、陶器づくりは職人で、職人風情が芸術家呼ばわりなど大いに憚られる風潮であった。だが、その私が東慶寺の鈴木大拙僧に美術談義をしたりしたのも、その頃である。
過ぐる年、私は現在地(加賀市作見町)に窯を移した。門前に七尺の碑を建て、表面に「九谷作見窯」と、私が発見、発掘した古窯は多く、それらを「九谷」と「作見」に封じて銘刻した。「極火即是業火」というのが私の唯識であり、画論でもある。
ここで私は、何かとてつもないことをやらかそうと企んだ。それは、美しく化粧した女の手足を屈伸させて壺をつくったり、指を組まして茶碗をつくったり、お尻をおろさして大皿をつくるなどというようなもので、モチーフには困らなかった。


1911年
南加賀の寺に生まれる
絵画制作、築窯発掘に情熱を注ぐ
鈴木大拙、須田国太郎、中村丘陵、加藤唐九郎諸先生に師事
1973年
日本橋三越本店にて第一回個展
1975年
日本橋三越本店にて第二回個展
1976年
日米文化振興会賞を受賞
ドイツ、ミュンヘン国立美術館にて文化交流として個展
ドイツ、ケルン日本文化会館にて文化交流として個展
1977年
ドイツ、ベルリン国立ダーレム美術館にて文化交流として個展
同美術館にて水蓮絵皿、獅子文香炉、美術館収蔵・作品買い上げ
ドイツ、ハンブルグドレスナーバンクにて同じく文化交流として個展
ウィーングラーベン画廊にて個展
1978年
日本橋三越本店にて第三回個展
1981年
内閣総理大臣賞(黄金の腕)
1982年
国立岐阜大学 図書館 館内(寸胴譜/陶壁) ―― 岐阜県
1983年
然別湖畔温泉ホテル風水 館内(五双陶壁) ―― 北海道
1984年
文部大臣賞(女たち)
石川県鉄工会館 館内(日月双璧/陶壁) ―― 石川県
1985年
根上中学校 講堂 外壁(太陽のこぼれる町/陶壁) ―― 石川県
1986年
西浦眼科 外壁(光の館/陶壁) ―― 千葉県
1987年
湯河原厚生年金保養ホーム 館内(陽よりの使い/陶壁) ―― 神奈川県
1994年
梅郷ナーシングセンター 館内
(招福の門・奥能登太鼓/絵画) (獅子の里/陶壁) ―― 千葉県
1998年
三月十六日永眠 享年八十七歳